ゆっくりと過ごすこと。

 ヘルシンキから、北極圏にある村・ロバニエミに向かうまでの間に、オウル という都市に立ち寄った。オウル から、ロバニエミまで行く列車のチケットを買いたくて、友人とふたりで、オウル 駅に立ち寄った。駅舎は、歴史のありそうな木製の建物で、中にはちょっと電車を待てるようなベンチと、新聞や飲食物を販売する売店がひっそりと佇んでいた。中には、みどりの窓口のような一室があって、私たちはその扉を開いた。窓口には、二人のおばさんがいて、お客さん相手をしている。私たちは、横で待つことにした。窓口のお客さんとおばさんの様子を見ていると、不思議な気分になった。

 

なんてのんびりにみえるのだろう。

 

窓口では、チケット販売を行うのだが、一人一人に対して、10分くらいかかるのだ。挨拶のおしゃべり、パソコンでチケットを検索し、提示して販売し、そして最後のおしゃべり。パソコンの動作も、日本のみどりの窓口の人みたいにカタカタ早いスピードでするそぶりは全くなく、ぽん、ぽん、かち、かちとゆっくりとした動作で進む。そのうちに、お客さんが増えて、私たちの後ろに3〜4人が待つようになった。

 

 それでも、窓口のおばさんたちは動じず、同じスピードで仕事を行い、同じようにおしゃべりを合間に入れながら応対する。待っているお客さんたちも、待つ時間を新聞を読んだり、恋人と過ごしたり、特に気にしている様子はなかった。私も最初は、もっと早くしてほしいなと思ってしまったけれど、待っている間に時間の中にある余裕に心地よさを感じた。人とのおしゃべりを大切にしたり、ここにいる窓口の人は目の前に相手しているお客さんをちゃんと一人一人のお客さんとして、丁寧に応対しているって当たり前なのに忘れがちだった。

 

 待っている間に、普段どうして、あんなに急いでいたのだろう。と、日本にいた時の自分をおもいだした。効率よく時間を使い、電車は1〜2分の遅れで焦りを覚えた。みどりの窓口では、早く順番こないかなとそわそわした。そもそも、オウル の窓口の速度を瞬間的に遅いと感じ取った自分の感覚が、日本でどれだけせわしなく生きていたかということの証拠だ。

 

そんなに急ぐ必要ないんじゃない、って言われているような心地だった。

 

 いよいよ前のお客さんとのおしゃべりが終わり、ようやく私たちの番になる。お客さんが終わってすぐに対応したりはせず、少しの動作をして、ようやく私たちの順番がきた。もちろん、おしゃべりから始まる。こんにちは、あら、どこから来たの。どこに行きたいの?って。駅の窓口でほっこりしたのは、生まれて初めて。

 

 急いで焦りそうになった時には、あの駅舎の窓口のことを思い出そう。あのちょっと古くて、みしみしと音を立てそうな古い駅舎の窓口を。

 

        ************************************************************ 

  そんなゆったりした時間が流れるオウル の町では、子どもでも道ゆき目があえば、にっこりと微笑み返す。微笑みの大切さに気づいたのが22歳の時だった私から見ると、それが幼少期から自然と身についてしまう環境の豊かさを感じずにはいられない。微笑みの頻度は、豊かさを示す一つの基準だと思う。

 

・ほほえみを忘れず、丁寧に日々を過ごすこと。

 

f:id:momoshikiya:20181211073405j:plain